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校長講話

202103.29

校長講話_NO.179【2020年度中学卒業式式辞「キリストの弟子、ペトロのこと」】

 様々な命の躍動を感じる季節となりました。規模を縮小してとは言え、このようにご来賓の皆さま、保護者の皆さまをお迎えして、卒業式が出来ることを感謝します。卒業生の皆さん、また保護者の皆さま、本日はおめでとうございます。ご来賓の皆さま、卒業式にご臨席を賜り、誠にありがとうございます。

 今年度は、放送朝礼、あるいは学校新聞などで、折に触れて今回のコロナ禍の出来事について感じたこと、考えさせられたことについてお話をしたり、文章を書いたりしてきました。今朝はコロナ禍の出来事からは離れて、一人の人物のことをお話ししたいと思います。皆さんが3年間、長野清泉で学んだことを思い出しながら聞いてもらえれば、嬉しいです。

 今朝の話を始める前に、聖書を一箇所お読みします。新約聖書の最初に置かれている『マタイによる福音書』4章18節、19節です。では、読みます。

 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。

 イエスが、自分の教えを伝え初め、最初に弟子をとった場面です。ペトロとアンデレが最初の弟子になりました。今朝皆さんにお話ししたい人物とはこのイエスの最初の弟子、ペトロです。私は、時々大きな失敗をして、気持ちが落ち込んでしまうことがあります。多分、皆さんにも程度の差こそあれ、そんな時があるのではないでしょうか。そのような時、ふと、このイエスの最初の弟子、ペトロのことを想います。ペトロは決して、強く、勇気のある人間ではなく、イエスが助けを必要としている時にそれに応えることが出来ませんでした。けれども、そのようなペテロを、いや、そのようなペトロだからこそ、イエスは暖かく見守りました。

 では、ペトロとはどういう人だったのかを、聖書の記述をもとに少し述べてみます。

 一昨年の2019年11月23日から26日にかけてイタリアのバチカンからローマ教皇フランシスコが来日しました。皆さんも良く覚えていることでしょう。教皇フランシスコは第266代のローマ教皇ですが、初代の教皇は今日お話しする人物、ペトロと言われています。ローマにあるバチカン市国には有名なサン・ピエトロ大聖堂がありますが、サン・ピエトロとは聖ペトロのことです。つまり、カトリックの世界では最も重要な人物の一人とされています。

 先程聖書をお読みしましたが、ペトロはイエス・キリストの12弟子の中で最初に弟子になりました。イエスはこのペトロをとても信頼していて、ある時ペテロを指さし、「私はこの岩の上に教会をたてる。」つまり、ペトロによって教会を創ると言いました。さらに、「あなたに天国の鍵を預ける。」とまで言ったのです。弟子が先生から言われる言葉として、これ以上の言葉があるでしょうか。キリストの一番の弟子と言っても過言ではありません。

 このようにイエスから厚い信頼を寄せられていたペトロですが、ペトロはイエスが最も苦しんでいる時、それも一度だけでなく二度までもイエスの期待に応えることが出来ませんでした。イエスを裏切ってしまったと言えるかもしれません。今朝はその出来事の内の一つをお話しします。 

 イエスは弟子たちに「人の前でわたしを知らないという者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う」と話しました。イエスの弟子であることをいつでも人々にはっきりと示していなさいと言ったのです。ところが、イエスがユダに裏切られ、イエスを死刑にしようとする人々に捕まると、弟子たちはみんなイエスを見捨てて逃げてしまいます。

 ペトロだけは逃げずに、遠くから捕まってしまったイエスを見守ります。すると一人の人がペトロに近づいて来て、「お前はあのイエスと一緒にいただろう。」と言います。ペトロは「何のことかさっぱりわからない。」と答えます。また別の人に「この人はイエスと一緒にいた。」と言われると、「イエスという人は知らない。」と答えます。さらに、3人目。「確かにあなたはイエスと一緒にいたではないか。」と問い詰められると、「そんな人なんかまったく知らない。」と叫んでしまうのです。この聖書の場面を読む人は、「自分だったら、勇気を出してイエスと一緒にいた。」と言えるだろうかと自問自答することでしょう。

 この場面をルカによる福音書は次の様に記しています。お読みします。「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」(ルカによる福音書22章61節62節)

 かつて、ペトロはイエスに「あなたに天国の鍵を預ける」と言われるほど頼りにされていました。しかし、イエスが弟子たちを最も必要としている時に「イエスという人など知らない。」と三度も言ってしまったのです。

 では、イエスはなぜこのような弱いペトロを選び、「天国の鍵を預ける」と言い、教会を創らせようとしたのでしょうか。私は、ペトロに先程の場面で記された弱さがあったからだと思います。イエスの教えを人々に伝えてゆく時には人々の心に訴える話が出来なければなりません。これは想像ですが、ペトロは自分の弱さを自覚しているがゆえに人々の心に寄り添った話が出来たのだと思うのです。

 さて、ペトロはイエスの十字架上の死後、見違えるように変わります。勇気を持って力強くイエスの言葉を伝えていきます。どうして、ペトロは大きく変わることが出来たのか。それは、自分は自分の最も愛するイエスを一番大事な時に裏切ってしまったというマイナスの体験、失敗の体験を持っていたからではないかと思います。その失敗の体験ゆえに「今度は裏切らない」という強い気持ちがペトロの中に生まれたのです。

 こう考えて来ると、人間の持つ弱さであるとか、失敗の経験は、人間にとって必要なものなのではないかと思えてきませんか。人間の持つ弱さの大切さ、失敗することがいかに大事かをペトロという人物は教えてくれます。

 皆さんは4月から高校生活を新たに始めます。様々な出来事に出会い、時には自分の弱さと向き合わなければならない時もあるでしょう。大事な時に失敗をしてしまうこともあるかもしれません。そんな時には是非ペトロのことを思い出して下さい。そしてイエスがそのペトロをとても暖かい目で見守っていたことも思い出して下さい。

 今朝は、キリスト教会の礎を築き、イエスがとても愛した弟子のペトロについてお話しました。皆さんの中に少しでも何か残るものがあれば幸いです。

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城山の桜も開花しました。(3月29日撮影)

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