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校長講話

201601.07

校長講話_39「お互いの違いを大切にしよう」

tyuugaku3nennnennshi.JPG 新年、明けましておめでとうございます。年末年始の休みの間、学校を離れ、先生、友だちとも離れ、いつもとは違う生活の時間で過ごし、気持ちをリフレッシュすることが出来たことと思います。

 さて、今朝は、2016年最初の放送朝礼ですので、いつもより少しだけ長くお話しします。私たちの学校、長野清泉で大切にしていきたいことについて、お話ししたいと思います。「私たちの学校で大切にしていきたいこと」ですので、これまでにも折に触れてお話ししてきたことです。

 それは、私たち一人一人が異なった存在である、ということを、お互いに認め合い、お互いが違っている、ということを大切にするということです。どうしてかは分かりませんが、人間には自分と違ったものを警戒してしまう、あるいは、自分との違いをマイナスの感情でとらえてしまう傾向があるように思います。そして、自分自身についても、自分の考え方やあり方が、周りの人と違っていると、不安を感じてしまうことがあります。例えば、何かの集まりで、「これが良いと思う人、手を挙げて下さい。」と言われて、1人だけ手を挙げるのには少し勇気がいる。

 しかし、例えば、この長野清泉に集まった一人一人は、皆、これまでその人にしか歩むことのできない十数年を生きてきました。家族のあり方も皆違うだろうし、学校から帰ってからの時間の過ごし方も違う。これまでに出会った先生や友達も違うし、読んできた本も違う。そう考えると、私たちはお互いに違っていることが当たり前なのです。今年、2016年をどんな年にしようかということも一人一人違うでしょう。もしかしたら、「今年どんな年にするか」と考えない人もいるでしょう。

 私は、長野清泉で学ぶ人たちは、お互いの違いを認め合い、人の違っている点も、自分の違っている点も大事に出来る人であってほしいと思います。世の中にある「いじめ」あるいは「差別」といったものはお互いの違いを認め合えないところにも、原因があるように思います。自分がほかの人と違っていたとしても、それを是非大切にしてほしいと思います。そのことを気に病む必要は全くありません。

 私たちは「長野清泉の祈り」を毎朝、唱えます。そこに、「自分と友とをありのまま受け入れることができますように」とあります。「自分と友とをありのまま受け入れる」ことは簡単なことではありません。だから、毎朝、そう出来るようにと祈るのです。

 最後に聖書を一箇所お読みします。「ローマの信徒への手紙」です。この手紙はイエス・キリストの使徒パウロによって書かれました。パウロは復活したイエス・キリストと出会い、福音を広めた人です。新約聖書の四分の一以上はこのパウロによって書かれた手紙から成っています。「ローマの信徒への手紙」12章の4節と5節をお読みします。

 「というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。」

 パウロは私たちが一人一人異なっているということを体に例えて述べています。体には様々な部分があり、その一つ一つが異なっているのは当たり前で、どれ一つとして大切でない部分はないと言っています。私たちは、一つの体の部分のような存在である、その部分は違って当たり前、いやむしろ、違っている事こそが大事なのだということを、もう一度思い起こして、新しい年を歩み始めましょう。

(1月7日、放送朝礼より。写真と本文とは関係がありません。)

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