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校長講話

202111.25

校長講話 No.196「88回目の11月9日」

毎年、この時期にお話ししていますが、今朝も長野清泉の歴史についてお話をします。

本校の創立者、聖ラファエラ・マリアが、スペイン、コルドバに生まれたのは1850年です。1850年の日本と言えば、鎖国が続いていましたが、1853年にはペリーの艦船が来航し、新しい激動の時代を迎えようとしていた頃です。

ラファエラ・マリアが生まれた1850年から、84年の時間を経て、ラファエラが創立した聖心侍女修道会の4人のシスターが日本にやってきます。修道会の精神に沿った教育を日本で行うためです。4人のシスター方がローマを発ち、29日間の船旅を終えて横浜に着いたのが、1934年の119日です。昨日、119日は清泉の原点とも言える日ですので、皆さんも是非心に留めておいて下さい。

歴史を振り返ると、どんな時代にも困難はあり、平穏無事な時代というのはそうはないのではないでしょうか。4人のシスター方が日本にやって来た時、日本は他国との戦争をする時代を迎えていました。シスター方が来日する少し前の1931年には、満州事変がおこっています。また、来日後しばらくして、中国との戦争も始まり、続いて、アメリカとの太平洋戦争が始まります。そのような中で、シスター方は日本での教育活動を、理想に燃えて続けていきました。しかし、広島、長崎に原爆が落とされる前年の1944年には、東京にいることが許されず、長野の地に疎開をさせられます。せっかく東京に作った清泉寮も、1945310日の東京大空襲で全焼してしまいます。

1945年の815日、終戦の日を、シスター方は野沢温泉で迎えます。敗戦の混乱の中、今後の見通しも全く立たない時に、疎開先の長野で学校を作る決断をします。1年後の1946年には早くも本校の前身となる長野清泉寮学院を開いています。シスター方の行動力、エネルギー、そしてその信念には、驚かされます。

繰り返しになりますが、ラファエラ・マリアが生まれて、84年後に4人のシスターが日本にやってきました。そして、4人のシスターが日本に来てから、今年で88年になります。長い時間が流れています。昨日は88回目の119日でした。本校の歴史に、思いを馳せましょう。

サザンカ(11月24日撮影)

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