メニュー

お知らせ

長野清泉女学院中学・高等学校 > >

News 清泉日記

清泉日記

201303.07

No31「卒業式と真理先生」

20130307_1.JPG 高校の卒業式が、5日の火曜日に行われました。高3生、200余名の面々が旅立たれました。前途の祝福を祈ります。

前日の4日には謝恩の集いが毎年あります。と言ってもホテルでの会食ではなく、学内でひとときを過ごします。その中でクラス毎に出し物も行います。最近は「情報」科の授業の影響もあり、趣向を凝らした動画の全盛期です。実は私が担任していたクラスも動画を作成し、その動画の一部が今回の写真でありまして・・・。実に嬉しかったです。

20130307_2.JPG20130307_3.JPG20130307_4.JPG
さて、次は先日の放送朝礼から。卒業の時にふさわしい講話だと思います。


 今日は最近考えさせられたことについてお話します。先日、私の知人が、突然亡くなりました。あまりに急な出来事で、この数日は悲しみにくれました。そんな時、高校時代に影響を受けた言葉をふと思い出しました。武者小路実篤の『真理先生』という小説の中に出てきた言葉です。

 真理先生は、家族もなくお金もなく、何も持たないのですが、大勢の人々が彼を慕って集まってきます。主人公の青年は、かねてから、なぜ真理先生がそんなにも人を惹きつけるのか、また、なぜ彼が誰に対しても区別なく、あたたかいのか、優しいのかを疑問に思っていました。小説の最後の場面で、青年は、真理先生が書き残した、一枚の文章を見つけます。そこにはこのように書かれていました。「人間は誰も死ぬものなり 最後に苦しんで死ぬものなり 人間はすべて憐れなものなり されば我は人間を無限に愛するなり そして少しでも幸福にして上げたいと思うなり。 ただ思うなり。」真理先生のあたたかさ、優しさの源はこのような思いだったのです。

 私達は、誰しも、いつかは死を迎える弱くて限りある存在です。また、物事には、かならず終わりがあります。皆さんの中学生活、高校生活もいつまでも無限に続くものではありません。

 高校3年生は、来週には、本校を巣立ちます。別れの時がきます。この世の形あるもので、永遠に続くものなどないのです。しかし、私達は日常の忙しさの中で、そのことを忘れてしまいます。すべてが、当たり前に存在し、いつまでも続くものだと勘違いしてしまうのです。私達は限りあるものであり、限りある時間と出会いを生きているのです。と、同時に、だからこそ、その出会いや関わりは尊いということを、この言葉は伝えています。

 年度末のこのとき、また別れの季節であるこの時、私達に与えられた様々な出会いや関わりに感謝してみてはいかがでしょうか。これで今日のお話を終わります。


 今週は温かかくなりました。この暖かさに乗じて、スタッドレスタイヤからノーマルタイヤに交換しようかと、車のディーラーの方に言うと、「信州では、いくらなんでも、まだ…」。ただ、春の訪れを確かに感じるこの週でありました。3月のよき日々をお過ごしください。

 中学校の授業はまだ続きますが、高校は明日で終業式。この「清泉日記」も4月までお休みとさせて頂きます。では4月に。それまでお元気で。<担当:広報部_N>

Contactお問い合わせ

お気軽にご相談ください。

Tel.026-234-2301

Fax.026-234-2303

error: Content is protected !!