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校長講話

201704.05

校長講話_74「2017年度入学式式辞 ~小さな一歩~」

皆様、お早うございます。おかけ下さい。
日の光の力強さを日々感じる、この春の日に、今年もこのように入学式を行えることを心より感謝致します。
中学1年生の皆さん、高校1年生の皆さん、皆さんを長野清泉女学院中学・高等学校の生徒としてお迎えできることを、本当に嬉しく思います。
保護者の皆さま、本日はおめでとうございます。皆さまは手塩にかけてお育てになったお嬢様を本校にお預けなさいます。教職員一同、皆さまの思いに応えられるよう、努力してまいります。
ご来賓の皆さま、いつも本校の教育活動にお力添えを頂いていることに感謝申し上げます。本日は、入学式にご臨席を賜り、誠にありがとうございます。

今朝は、「小さな一歩」ということについて、お話しします。私たちは、日々、「これはできそうにない」とか、「これはあきらめるしかないかな」ということに直面します。私にも多々あります。しかし、見方を変えたり、小さな取っ掛かりを見つけて、ほんの小さな一歩を踏み出したりすることで、「できない」と思っていたことが、出来てしまうことがあります。それは、ちょっと嬉しいことであります。これから、私が聞いたこと、また自分で経験したことなど、3つのことをお話ししてみたいと思います。

こんな話を聞きました。ある人がまだあまり開発の進んでいない地域に土地を見つけ、家を建てました。家に行く道は当然舗装されていません。土の道です。その道に大きな岩の一部が頭を出していて、車は通れないことはないのですが、いつも乗り上げてしまったそうです。その岩は多分畳一畳分くらいの岩で、その人は、岩をどけることはあきらめていたそうです。ある日、地元で新しく出来た友人が家に来たので、「この岩、動かすのは諦めているんだけど、あなたも無理だと思うよね。」と、聞いたそうです。すると、その友人は、少し考えて言いました。「俺だったら、岩の周囲をスコップで掘る。丸太を持ってきて、梃子の原理で動かす。一日に3センチくらい動かせば、10日で30センチは動く。」と言ったそうです。もう岩を動かすことを諦めていた彼は、友人の言葉にショックを受けます。自分は、すぐに、半日、長くて一日でその岩を動かすことを考えていた。機械を使って。でも、その道には機械は持ち込めないから無理だと諦めた。機械以外の手段でその岩をどける、という発想は全くなかった。しかし、友人の発想は、機械ではなく、人間の力で、また、すぐにではなく、1日3センチ動かすという、長い時間ををかけての、解決でした。その人は、何か困難に直面した時に、手っ取り早く、すぐに解決することを求め、それが出来ない場合は、無理である、と考えていた自分に気づかされたそうです。1日、3センチ動かすことから始める、まさに「小さな一歩」ですね。

次に私自身のささやかな経験についてお話しします。私は英語の教師ですが、こんなことがありました。私の世代は、英語は中学に入って初めて習うものでした。中学2年生の頃、「自分は英語が苦手だ。」と思うようになっていました。授業での先生の説明がわからない、テストで結果が良くない。漠然と、将来は海外を旅したい、という夢を持っていたので、だんだんと英語がわからない自分に焦ってきました。ただ、どうしていいかわからない。「英語がわからない」ということは、何となく感じていても、何がわからないのかもわからない。
ある時、ふと思いついて、自分は、英語のどこが一番わからないのかを考えてみました。中学の時に持っていた参考書の文法の項目を一つ一つ見ていきました。そして、「前置詞」、in, at, about などですね、前置詞が一番わからないのだ、ということがわかりました。それで、本屋さんに行って、参考書の棚を見ました。今でも、何となくその時の情景を覚えています。本屋で棚の前に立っている中学2年生の自分を思い出します。すると、英語の参考書の中に、前置詞だけを説明した中学生用の薄めの参考書があったのです。私はそれを買い、1ページ目から少しずつ、読み始めました。
その参考書のおかげで、前置詞がなんとなくわかるようになりました。自分が一番わからないと思っていたところが、少しわかるようになった。前置詞がわかると、不思議なもので、他の名詞とかが、少しずつわかってくる。「英語がわからない」という不安が、消えていきました。
先程の話で言うと、1日に3センチ、岩を動かすように、少しずつ、英語に近づいて行ったと言えるかもしれません。私にとって、前置詞についての薄い参考書を買うことが、英語に近づく「小さな一歩」であったのです。

さて、3番目のお話しは、マザー・テレサの言葉です。マザー・テレサは皆さんも知っているでしょう。
マザー・テレサは1910年に生まれました。1946年、36歳の時に、汽車に乗っていて、「全てを捨て、最も貧しい人の間で働きなさい。」という神様からの言葉を聞いたと言われています。
その生涯を通じて、貧しい人々のために働き続けました。
1979年にノーベル平和賞を受けます。その時のインタビューでマザー・テレサが話したことを、皆さんに紹介したいと思います。インタビュアーが、マザー・テレサに「世界平和のために私たちは何をしたら良いですか。」と尋ねます。
「世界平和のために出来ること」、あらためて考えると、この問いは余りにも大きな問いのように思えます。大きすぎて、もし、私が聞かれたとしたら、答えにつまってしまいそうです。皆さんだったら、その大きな問いにどう答えるでしょうか。
マザー・テレサは、次の様に答えました。「家に帰って、ご家族を大事にしてあげて下さい。」
世界平和という大きな課題の解決も、「自分の家族を大事にする。」ということから、始まる、とマザー・テレサは言います。私には、自分の足元をしっかりと見つめ、まず、小さない一歩を踏み出してみなさい、と彼女が言っているように思えます。

最後に聖書を一箇所、お読みして話を終えたいと思います。聖書の中にも、諦めずに、「小さな一歩」を踏み出す人がでてきます。
マタイによる福音書9章の20節から22節です。お読みします。

「すると、そこへ12年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。『この方の服に触れさえすれば治してもらえる』と思ったからである。イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。『娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。』そのとき、彼女は治った。」

この女性も、ほんの小さな一歩を踏み出します。本当なら、イエス・キリストの目の前に出て、自分の病気のことを話し、「治して下さい。」と言いたかったことでしょう。しかし、イエスの周りには、大勢の人がいて、とてもそのようなことは出来ません。それで、せめて服にでも触れることが出来ればと思い、近寄ったのでした。
イエスは、多くの人に取り囲まれながらも、その女性が自分の服に触れたことを感じ取ります。そして、『娘よ、元気になりなさい。』という力強い言葉をかけるのです。

これからの皆さんが過ごす学校生活では、様々なことに出会うでしょう。特に、困難に出会ったとき、是非「小さな一歩」のことを思い出して下さい。その困難に対して、自分はどんな「小さな一歩」を踏み出せるのかを、じっくりと考えて下さい。私は一番大切なことは、自分にとっての「小さな一歩」とは一体何か、を考えることではないかと思っています。そして、自ら考えた「小さな一歩」を踏み出して、山や谷を、出来れば「明るく」乗り越えていってほしいと思います。
以上を、式辞と致します。

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