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News 校長講話
校長講話
202504.25
2025年度 4月7日入学式
高校1年生の皆さん、本日はご入学おめでとうございます。
中学1年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
保護者の皆さん、お嬢様のご入学おめでとうございます。
ご来賓の方々には、新入生の門出の日にご出席賜りまして、感謝申し上げます。
さて、ただいま、長野清泉女学院中学・高等学校に入学を許可された皆さんは、今日が、清泉の生徒としての生活の始まりです。清泉という学校に期待を膨らませていることでしょう。
清泉は学校です。勉強するところです。皆さんは、生徒ですから、よく勉強しなくてはなりません。皆さんは、中学生でしたら、小学校で、高校生でしたら、中学校で勉強してきたことと思います。これからも、さらにもっと勉強しなくてはなりません。
皆さんの中で、今、「勉強」と聞いて、嫌だなと少しでも感じた人がいますか。もしいるとしたら、大きな勘違いをしているので、ここで、その間違いを正しましょう。「勉強、嫌だな」と思った人は、勉強というものについて、伝えてもらう機会がなかったからだろうと思います。
勉強とは、人間だけがするものです。人間は、勉強することによって、もっと、もっと人間になっていきます。勉強することによって、私たちは新たな地平に立つことができます。新たな地平に立つとさらに視野が広がっていきます。そうすると、ますます知りたいと望むようになるのが人間の存在です。美しさを求めて、真理を求めて、正義を求めて、平和を求めて、そして、愛を求めて、ますます学んでいくのが人間という存在です。人間という存在は、いつも自らの限界を超えて、超越なるものへ、向かい求めているのです。ですから、勉強することは、一生続くものです。
学校とは、勉強するところと言いましたが、、何を学ぶのでしょうか。中学校、高校は、勉強することを学ぶところ、勉強する姿勢を学ぶところなのです。勉強するという人間の生涯にわたる姿勢を学校で学ばないといけません。いかに学ぶのか、それを勉強するところです。テストでよい点数をとること、それは、うれしいことでしょうが、それが勉強の目的になってはいけません。同級生よりもできるようになっても、それで有頂天になるようなことがあってはいけません。また、仮に、同級生よりもできないと感じることがあっても、自信を失うようなことがあってはいけません。学ぶことは勝ち負けではありません。また、学ぶことは授業だけではありません。清泉生として過ごす、すべての時間が学びの時間です。
いかに学ぶのかを知ることは、皆さんの生き方にも関わってきます。間違った学び方をしてしまうと、皆さんの生き方にも影響します。学ぶことには、一連のプロセスがあります。まず、体験をすること、その体験をよく振り返り、自分事として捉えて、深めていきます。自らの振り返りが深まるほどに、その人は行動へと促されていきます。この学びのプロセスを繰り返していくたびに、私たちは新しい地平に立ち、新しい人になっていくのです。この成長は生涯続くものです。
皆さんには、清泉生として、よく勉強してほしいと思います。よく勉強するためには、自ら学んでいく自立した学習者にならなければなりません。先生や親から勉強しなさいと言われたから、勉強する。そのような態度では、自立した学習者にはなれません。
さらに、何のために勉強するのか考えなくてはなりません。それには、自分に夢がなくてはなりません。夢や希望がなければ、私たちは何のために生きているのでしょうか。
学校なのだから、今話したことは、当然のことだと思う人もいるでしょう。当たり前だと思いがちですが、しかし、社会の現実を見ると、そうでないことがわかります。
皆さんには当たり前であっても、この世界では、教育を受けたくても受けられない人たちがいるということを忘れないでください。戦争や内戦の中にある人たち。ひどい貧困のために、搾取されても働かざるをえない人たち。また、女性というだけで、教育を受ける機会を奪われている人たちもいます。教育を受けようとすると、命の危険にさえ、さらされる女性もいます。
皆さんが教育を受けられることは、本当に恵まれていることなのだと感じてほしいと思います。
そして、この恵まれていることを、ただ幸運なことだと考えるのではなくて、この恩恵にあずかった皆さんには、よく勉強して、人のために、とりわけ、弱い立場にある人のために仕え、この社会をよりよいものにしていく使命があるのだと気づいていってほしいと思います。
清泉の教育は、皆さんの一人ひとりの命という存在がとても尊いものだということを教えます。その命が輝くように導きます。自分の人生は何のためにあるのか、なぜ生きていくのか、幸せに生きるとはどういうことなのか、と自らに問いかけるように導いていきます。なぜかというと、清泉という学校の根本には神の存在があるからです。この学校が神を信じているからです。神は、私たち一人ひとりを尊く大切に思っている存在であり、その大切な命を与えられた私たち一人ひとりが、その命をどのように生きていくのかを、神は見守り、私たちの命が輝くことを願っている存在です。そのような神を信じている学校が清泉なのです。
清泉の教育の意味や深さは、皆さんが清泉で学ぶことになる数年間だけで、わかるものではありません。人生を歩む中で、少しずつ気がついていくものでしょう。しかし、清泉でこれから学ぶことになる新入生の皆さんは、この一度しかない人生を幸せに生きるための方向づけが、清泉の教育によって、示されることでしょう。私たちの命の尊さに気づき、この命という贈り物を受けた私たちが、この命をどう生きていくのか、清泉の教育は皆さんに問いかけることでしょう。清泉の教育を受けることになる皆さんは、本当に幸せな人です。どうかそのことを忘れず、清泉生として、誇りを持って、学んでいってほしいと思います。
最後に、次の言葉で話を締めくくりたいと思います。学校法人清泉女学院の初代理事長であった、アルゼンチンのシスター、エルネスティナ・ラマリョの言葉です。
「本当の喜びは自分のために生きるときではなく、人のために生きるときに感じるものです。」
以上、式辞といたします。