長野清泉女学院中学・高等学校 | ひとり一人、花を咲かせる6年間

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校長講話

校長講話_NO.176【2020年度高校卒業式式辞「何事にも時がある」】

2021年03月16日

 年ごとに冬が暖かくなり、どうしても地球温暖化のことを考えてしまいます。しかし、春は人間だけでなく、様々な動物、鳥、植物がその訪れを喜ぶ季節です。地球は人間だけのものではない、ということに気付かせてくれる季節でもあります。コロナ禍が地球を覆い、昨年は保護者の方も来賓の方もお迎え出来ない卒業式を行わざるをえませんでした。今年は、まだ全国、そして世界で、苦しみ、苦労している人々が大勢いる中ではありますが、このような形で式を行うことができ、ありがたく思っています。

 高校3年生の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんはこの長野清泉で3年間、あるいは6年間をお過ごしになりました。人類にとって初めてと言える地球規模のコロナ禍を体験し、先の見通せないこの時期に皆さんは卒業していきます。私は、これからの不透明な時代を生きていく上で、この長野清泉で学び、感じ取ったことが、少しでも皆さんの支えになることを願っています。

 保護者の皆さま、本日は誠におめでとうございます。一家庭、お一人という制限をせざるをえませんでしたが、こうしてお集まり頂いたことを本当にありありがたく思います。保護者の皆さまには本校の教育活動への暖かいご理解と惜しみないご支援を頂きました。心より感謝致します。

 ご来賓の皆さま、卒業式にご臨席を賜り、ありがとうございます。今年度は皆さまとお目にかかる機会が少なくなってしまいました。それゆえ、これまでいかに皆さまとお会いし、本校を支えて頂いていたかを、あらためて実感しております。

 今朝は旧約聖書の言葉をヒントに、今回のコロナ禍の出来事を私なりに考えてみたいと思います。

 聖書を一箇所お読みします。旧約聖書「コへレトの言葉」3章1節から8節です。では、お読みします。

何事にも時があり

天(てん)の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時 / 植える時、植えたものを抜く時

殺す時、癒す時 / 破壊する時、建てる時

泣く時、笑う時 / 嘆く時、躍る時

石を放つ時、石を集める時 / 抱擁の時、抱擁を遠ざける時

求める時、失う時 / 保つ時、放つ時

裂く時、縫う時 / 黙する時、語る時

愛する時、憎む時 / 戦いの時、平和の時。

 印象深い言葉が並んでいますが、1節に「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」とあります。この言葉をヒントに2つのことをお話しします。

 一つ目は、今お読みした「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」の中に出て来る「出来事」という言葉についてです。

 残念ながら昨年は行くことが出来ませんでしたが、本校では2014年から毎年8月に東日本大震災の被災地、岩手県の大船渡でボランティアをさせて頂いています。東日本大震災が起こり、来週の木曜日でちょうど10年が経ちます。私も2014年に生徒と一緒に行きましたが、出発する前と帰って来た時とでは生徒の顔つきが変わる程、多くのことを学び、体験をさせて頂いています。本校がお世話になるボランティアのベースの近くにクリスチャンで医師の山浦玄嗣(はるつぐ)先生が住んでおられ、毎年本校生に震災当日のことを話して下さいます。私はその山浦先生から一つのことを教えて頂きました。「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」に出て来る「出来事」に関わることです。旧約聖書はヘブライ語で書かれていますが、ヘブライ語で「言葉」という語は「ダーヴァール」というのだそうです。この「ダーヴァール」という語には「言葉」という意味に加えて「出来事」という意味があるとのことです。つまり、ヘブライ語の「ダーヴァール」という語には「言葉」という意味と「出来事」という意味があるのです。そのため、旧約聖書の時代を生きた人々は、自分の身の回りで起こる「出来事」は神様の「言葉」であると考えました。私たちの世界に起こる出来事、身の回りに起こる「出来事」を通して神は何かを語り、伝えようとしていると考えたのです。山浦玄嗣先生はお書きになった本の中で次の様に述べています。「自分の身の周りに何が起きているかをよく見てみましょう。その中に神様のお言葉があるのです。心の耳を澄まし、目を凝らし、神様のお言葉を聞きましょう。神様のお言葉はわれわれの周りに満ちあふれています。」もう一度お読みします。「自分の身の周りに何が起きているかをよく見てみましょう。その中に神様のお言葉があるのです。心の耳を澄まし、目を凝らし、神様のお言葉を聞きましょう。神様のお言葉はわれわれの周りに満ちあふれています。」

 さて、初めにお話ししたコへレトの言葉に戻ります。3章1節は次の言葉でした。「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」。この「出来事」が神の言葉であるとするなら、神様は定められた時に私たちに何かを語りかけている、ということになります。

 二つ目のお話をします。コへレトの言葉に従うなら、今回のコロナウイルスの出来事も定められた時に起こったと考えることが出来ます。私にはこの出来事を通して神様が何を語ろうとしているのかをあれこれと想像することしか出来ません。けれども、一つのことに気付きましたのでこれからそのことをお話しします。

 今回のコロナウイルスの出来事は「地球温暖化」と深く関わりのあることが様々な場で指摘されています。「ウイルスとの戦い」という言い方が時々なされますが、ウイルスが人間に襲い掛かってきた、というよりは、本来出会うはずのない人間とウイルスが、人間が温暖化を引き起こしたことによって出会ってしまったという見方も出来ると思います。

 ある時、新聞を読んでいて、アントニオ・グテレス国連事務総長の次の言葉が目に留まりました。お読みします。「私たちは金融をパリ協定と持続可能な開発目標(SDGs)に整合させる必要がある。炭素税などによって排出される炭素に価格を付け、税の基礎を所得から炭素へ、負担を納税者から汚染者へとシフトさせるべきだ。」という言葉です。地球の温暖化を進めてしまう炭素に税を課すべきだというのです。

 また、2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の国際運営委員、川崎哲(あきら)さんの文章を雑誌で読みました。お読みします。「ユニセフによれば、世界の人口の4割にあたる30億人が自宅で石けんと水で手を洗うことが出来ない。一方で国連軍縮局は世界の人々に基本的な水と衛生を提供するのに必要な費用は世界の軍事費の2パーセント以下で済むとしている。」軍事に使うお金のわずか2パーセント以下で30億の人々の水と衛生が確保される。川崎さんはこれらの事実を挙げ、「お金を武器から人へ回せということが今ほど切迫感をもって世界規模で求められているときはない。」と言います。「今ほど」とは、「コロナウイルスの出来事が起こっている時」を指しているのは言うまでもありません。

 わたし達がコロナウイルスの出来事を経験する前、2019年以前にも先程述べた「炭素税」や「お金を武器から人へ」ということは語られてきました。しかし、残念ながら「理想的にすぎる」「非現実的だ」という言葉によって、大きな声となることはありませんでした。しかし、全世界がコロナウイルスの出来事を経験する中で、「炭素税」や「お金を武器から人へ」という声は多くの人々の心を動かし始めています。コロナ禍の前には「理想的」、「非現実的」とされていたものが、コロナ禍によって現実的なものになってきた、ということが言えるかもしれません。であるならば、そこに神様の大切なメッセージを感じ取ることが出来るように思うのです。

 「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」というコへレトの言葉と「自分の身の周りに何が起きているかをよく見てみましょう。その中に神様のお言葉があるのです。」という山浦玄嗣先生の言葉を卒業生の皆さんに贈りたいと思います。

黄梅もどき.jpg

黄梅もどき(3月12日撮影)

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