長野清泉女学院中学・高等学校 | ひとり一人、花を咲かせる6年間

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清泉メッセージ

イースターに思う

2018年04月23日

今月1日、カトリック教会では復活祭(イースター)を迎えました。復活祭は12月25日のクリスマスと並んで、キリスト教においては、一年の中で最も大切な行事です。では、なぜそれほど大切なのでしょうか? 私は色々な点から、イエス・キリストのご復活の重要性を考えることができると思いますが、一番の理由は、私たちが聖堂で目にする、十字架上の痛々しいイエスの姿に、神様の「愛」の深さを見ることができる点にある、からだと思います。

新入生の皆さんは、初めてマリア館3階の聖堂に入ったとき、正面の十字架を見て、なぜあのような痛々しい姿でイエスがはりつけにされているのだろう、と不思議に思ったのではないでしょうか。イエスは、ご自分では何も悪いことをしていないのにも関わらず、様々な宗教的、社会的背景により、死刑を宣告され、世の中の人々の罪を全て一人で背負って、最も過酷な刑である十字架刑によって、大きな苦しみの中で亡くなりました。

そして聖書には、イエスが亡くなる直前に、十字架上で次のような言葉を残したことが記されています。

それは、群衆から、「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りてこい。」とか、「他人を救ったのに自分は救えないのか。」などと罵られる中、イエスは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」とおっしゃった、という場面でのことです。

私は、自分が最も苦しい時にあってさえも、なお周囲の人を思いやり、赦そうとなさったイエスのそんな姿に、イエスを通じて神様が私たちに伝えようされたメッセージがある、と思います。

これに関連して、私は、インドで貧しい人々のために一生を捧げた聖マザー・テレサが以前来日されたとき、私たち日本人に対して、次のようなお話をされたことを思い出しました。

「私たちの主催する『子どもの家』で、ある時、お砂糖がなくなってしまったことがありました。それを聞いた4歳のある男の子が家に帰って、ご両親に次のように言ったそうです。『僕、3日間お砂糖はいらないよ。その分はマザー・テレサにあげるんだ。』そして3日後、その男の子はご両親と一緒に、そのお砂糖を持って私たちの所に来てくれたのです。その男の子は、やっと「マザー・テレサさん」、と言えるようになったくらいの幼子でしたが、そんな幼い彼が私に、人間は本当に大きな愛を持っている、ということ教えてくれたのです。大切なことは、いくつあげるかということではなく、愛を持って与える、ということなのです。この小さな男の子は、自分自身が痛むくらいに他者に与えたのです。」

さて、私たちの学校目標は、『神の御前に、清く、正しく、愛深く』ということですね。私にとってその意味は、私たち一人ひとりが、自分の置かれた立場で、たとえ誰が見ていなくとも、自らを律し、恥ずかしくない態度で、相手のために心を開いて、自ら具体的に行動することで、周りの人の力となり、その結果、喜びを分かち合えるようになる、ということなのだと思っています。そしてこのことは、勉強する意味ついても同じことだと思うのです。自己実現を果たすために一生懸命勉強することは、自分のためではありますが、その頑張った結果、社会の中で活躍できるようになるということは、必ず周囲の人の幸せにも通じていくはずです。ですから、生徒の皆さんは、この学校目標を大切にして、自分のため、そして他者のために頑張っていってほしいと思います。 

では最後に、聖書の次の一文を紹介して、私の話は終わりにします。

 『受けるよりも 与える方が幸いである』

(数学科 亀井 誠)

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