長野清泉女学院中学・高等学校 | ひとり一人、花を咲かせる6年間

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校長講話

校長講話_90 長野清泉寮学院時代を伝えるもう一枚の写真

2017年12月06日

前回の放送朝礼では、11月4日に本校の御聖堂で行われた追悼ミサで、清泉寮学院1期生として卒業した方のご遺族から、旧日本陸軍の司令部を校舎として使っていた頃の写真を9枚頂いたということをお話ししました。特にその中の2枚が私の目を引きました。そのうちの1枚には、本校の創立者、聖ラファエラ・マリアの写真の額が写っていました。⇒校長講話_89

今朝は、もう一枚の写真についてお話しします。

皆さんは、『泉は涸れず』という本をご存知ですか。お一人のシスターが、本校の設立母体である聖心侍女修道会の日本での歩みを記録した本です。上下2冊の本で、一冊が500ページを超える厚い本です。『泉は涸れず』は、1934年に4人のシスター方が日本を目指してローマを出発するところから始まり、太平洋戦争の終結後の各地の清泉の姿を描くところで終わっています。日本にとって激動の十数年でしたが、その時代のシスター方の生き方が克明に記されています。

『泉は涸れず』の下巻に次の記述があります。今の聖心館ができる前、「旧日本陸軍の司令部跡」を利用していた頃の校舎についての記述です。お読みします。

手芸室は西を除いて、三方に窓のある明るい部屋だ。秋の日が一杯に差し込む中でで、シスター・アンヘレス・パサマルが指導していた。二十四歳で来日した彼女も既に三十六歳になっていたが、どう見ても十歳は若い。パッチリとした茶色の目はいつも笑いを含み、どんなきっかけにも楽しい笑いが爆発しそうな表情を湛えている。(『泉は涸れず』下巻 p365)

裁縫室-2s.jpg手芸室と、手芸を指導するシスターの様子が描かれています。今回頂いた9枚の写真の中の一枚に、手芸室で、手芸をする当時の清泉生たちの姿が写っていました。先ほどお読みした『泉は涸れず』の描写通りの、日がたっぷりと差し込む明るい手芸室です。ホーム・ページに写真を上げますので、是非ご覧下さい。

これで、4回に渡ってお話しした、長野清泉創立当時の話はひとまず、終わりとします。

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