長野清泉女学院中学・高等学校 | ひとり一人、花を咲かせる6年間

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校長講話

校長講話_77 「姉妹校、清泉女子大のこと」

2017年05月10日

女子大本館.jpg女子大②.JPG女子大①.jpg今朝は、東京都品川区、五反田にある、本校の姉妹校、清泉女子大のことをお話しします。歴史の話が色々出てきますが、良く聞いてもらえれば、嬉しいです。

皆さんの中には訪れたことがある人もいると思いますが、清泉女子大の本館は、東京都指定有形文化財に指定されている、歴史的な建造物です。本館が完成して、今年で100年になります。100年前に作られた建物が、いまだに校舎として使われています。

少し、日本史のことを話します。来年、2018年は、明治維新から丁度150年目にあたります。265年続いた江戸時代が終わり、日本は明治という新しい時代に入って行きます。

今、清泉女子大のある場所は、江戸時代には仙台藩伊達家の下屋敷があったところです。そして、明治初年に、薩摩の島津家の所有となります。島津家は後に公爵となります。

1884年、明治17年には華族令が制定され、公爵、伯爵、男爵など、5つの爵位が定められます。華族の「華」は、訓で読むと「はな」で、「豪華」の「華」です。華族には諸外国の外交官の人たちとの社交をするという役割もありました。それで、その家は、大勢のお客を招いてディナーパーティーなどを行えるように、沢山の客室や大きな広間を持つ必要がありました。明治時代にはそういった洋館があちこちに建てられていきます。現在、清泉女子大が本館として使用しているのは、その時期に建てられた島津公爵の洋館です。

設計は、明治時代を代表する建物、鹿鳴館を設計したイギリス人のジョサイア・コンドルで、内装は洋画家、黒田清輝(せいき)が手がけました。

当時、建てられた洋館の多くは、1923年、大正12年の関東大震災、また、太平洋戦争終戦の年の、1945年、昭和20年、3月10日のアメリカ軍による東京大空襲で、失われてしまいました。

今、尚、当時の姿のままで残っている清泉女子大本館は、非常に貴重であると言えます。

昨年、春に出版された、雑誌『東京人』には、多くの図版、写真が添えられて、その本館について詳しく記されています。機会を見つけて、図書館で読んでみて下さい。

今朝は、清泉女子大の本館についてお話をしました。

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